« 榛名山ヒルクライムに対する杞憂。 | トップページ | 「あの自販機コーナー」に住んでみた。前編。 »

2012年8月25日 (土)

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第3回「銅像は誰が建てたのか?」

第3回 「銅像は誰が建てたのか?」

Maebashi_old
前橋駅の旧駅舎。どこかで復元を図ろうと、市が解体した資材を保管していましたが、実現せず廃棄されたそうです。設計図面は今も残されているそうです。




前橋駅の銅像は民間主体で建設されたとされていますが、当時の民間といっても、多くの資金を出せる企業は少なかったはずです。

 商工会などがお金を出し合ったり、一般からの寄付もあったでしょうが、その中でもおそらく大部分を拠出したのは、上毛新聞社であったと思われます。


 現在では一介の地方新聞ですが、当時の上毛新聞は群馬県の盟主でした。



 銅像が建ったのと同じ頃、昭和29年(1954年)に前橋市で市制施行60年を記念し、「グランドフェアー」というイベントが開かれています。


会場にはいくつかの企業パビリオンが設けられましたが、それらの企業は…、

「鉄道館」(国鉄 現JR)、「電力館」(東京電灯 現東京電力)、「煙草館」(専売公社 現JT)、

 そして、「上毛新聞館」です。

 いかに当時の上毛新聞がフォーマルに近い立場であったかがうかがえます。


 (ちなみに、この「グランドフェアー」の際作られた子供の遊び場が、現在の前橋市中央児童遊園るなぱあくとなりました。)


 
上毛新聞社は戦前から「上毛美術展」を開催し、戦後も早くから市民に向けての芸術啓蒙活動に力を入れていました。

 「芸術の先導者」という自負もあったのでしょう。像の建設は上毛新聞社の発案と資金で、自らすすめていったと思われます。


銅像の除幕式の際、幕を落とすロープを引いたのは、当時の上毛新聞社社長篠原秀吉の3歳の孫です。

 よほどの当事者でなければ、自分の孫を大役には推せません。

 

 

 
 

 そして、その幕を落とすロープを引いたのは、もう一人いました。


 それがこの銅像の製作を依頼された彫刻家、「分部順治」なのです。


                                                ・・・つづく。

« 榛名山ヒルクライムに対する杞憂。 | トップページ | 「あの自販機コーナー」に住んでみた。前編。 »

コメント

郷土の歴史を大事にするってなんかいいですよね
私は群馬から、むしろ前橋から出た事もない人間なので

田舎だけどやたら銅像が多かったりするのが
ちょっと気になっていたので
yagitaサンのこのシリーズ良かった!

自分のかわいかったであろう、幼い頃の思い出とリンクするので

小雪様、コメントありがとうございます。

このお話はまだまだ続きますよ。

当時を知る関係者の方々にお話を伺うため奔走しておりますが、時間との戦いです。

もう鬼籍に入っておられる方が多いんです。ずいぶん昔のことですから・・・。

でも不思議なものです。もう人生も終盤を迎えたある日、いままで全く関わりの無かったどこの馬の骨ともわからない私が、「駅前の銅像の話を聞きたい。」と突然訪ねて来る。

そしてひとしきり昔話をし、馬の骨は帰って行く。

一期一会というのはこういうことなのでしょうか?

人生、どんな出会いがあるかわからないものです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1654299/46821800

この記事へのトラックバック一覧です: 前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第3回「銅像は誰が建てたのか?」:

« 榛名山ヒルクライムに対する杞憂。 | トップページ | 「あの自販機コーナー」に住んでみた。前編。 »

無料ブログはココログ
2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ウェブページ