« ヤギとロバ。昼食を食べながら。 | トップページ | 破壊と創造。創造と破壊。 »

2012年8月17日 (金)

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第2回 「街に『ハダカ』がやってきた。」

第2回 「街に『ハダカ』がやってきた。」

Dsc_0622

(建設から10年後、昭和38年の銅像。噴水はまだない)




前橋駅に銅像が建ったのは、昭和28年(1953年)11月のことでした。

 終戦から8年。復興もかなり進み、前橋市の戦災復興記念として民間主体で建てられたと記録されています。(「前橋駅100年史」JR東日本)


 今ではこのような裸体像が街中に建っていても何の違和感も覚えませんが、当時はどうだったのか?

 戦後8年も経って、アメリカ統治の期間もありましたし、裸体像は西洋芸術の要として、明治・大正時代から盛んに製作されていました。ですから私はこの銅像も珍しい物として扱われたなんてことはないだろうと思っていました。


 しかし、今回の調査でだいぶお世話になった書籍である「股間若衆 男の裸は芸術か」(木下直之 東京大学文化資源学研究室教授 著、新潮社刊)によると、そうでもなかったらしいのです。 

 本のタイトルは相当ふざけていますが、明治以降の日本で裸体表現がどのように受け入れられていったかを、豊富な資料で探索した本です。

 

 

日本で初めて、裸体像が美術館や大学構内、企業社屋内ではなく、いわゆる「パブリックスペース」に建てられたのは、昭和24年(1949年)10月、東京・上野駅前が最初となります。

 

 作品は「愛の女神」。作者は長沼孝三(1908-1993)。現存はしていません。

 

 その像を見た一般市民の反応は「怪訝な顔をし、見てはいけないものを見るようにコソコソ盗み見、うつむいて去って行く。」というようなものでした。

 

 東京・上野でそういった反応だったとしたら、いくら戦後復興のスピードが速かったとしても、4年後の前橋での状況はだいたいの予想がつきます。

 

 

前橋駅に戦前から1970年代まで勤務された元国鉄マンの方とその奥さんにお話をお伺いする事ができました。両氏とも御歳89歳。銅像ができた年は30歳でした。

 

 あまり当時の事は覚えていないが、「なんだか裸の変なのができた。」という印象を持った記憶があるそうです。

 自分の職場にできた像に対してもこの印象です。相当数の市民は戸惑ったのではないでしょうか?

(余談ですが、写真右に写っている大きな看板には、「自転車は 左一列 手の合図」と大書されています。言われ続けて60年・・・。自転車乗りのみなさん、そろそろマナーを成熟させましょうcoldsweats01。)


                                                 ・・・つづく。

« ヤギとロバ。昼食を食べながら。 | トップページ | 破壊と創造。創造と破壊。 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1654299/46821699

この記事へのトラックバック一覧です: 前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第2回 「街に『ハダカ』がやってきた。」:

« ヤギとロバ。昼食を食べながら。 | トップページ | 破壊と創造。創造と破壊。 »

無料ブログはココログ
2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ウェブページ