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2014年3月11日 (火)

生へのベクトル。



3月11日。

あの日、私のごく近しい人は、群馬県T市の病院で看護師として勤務に就いていた。

地震が起こる1時間前、病院の救急外来にひとりの若い女性が搬送されてきた。

女性は自宅で自殺を図り、病院到着時にはもう手遅れの状態だった。


駆け付けたご両親は、わが子の冷たい姿を受け止めるしかなかった。


変死扱いのため、一室で警察の検死が行われることとなり、両親は待合室でそれが済むのを待った。

寄り添い落涙する姿に、看護師の彼女は心を痛めた。




そして14時46分、あの地震が襲った。


震源地からは遠いながらも、病院は強い揺れに襲われた。

建物倒壊の危険性は定かではなかったが、強い余震が続くため、病院は災害マニュアルに準じて2階以上に入院している患者を1階ロビーへ避難させることにした。

しかし、自分で歩ける患者ばかりではない。寝たきりや車イスの患者も多い中、エレベーターも停止し、その移動は困難を極めた。


そんな中、そのご両親は率先して手助けしてくださり、患者を抱きかかえ、車イスを押し、患者の安全確保に多大なご協力をしてくださった。



震災から数日後、近しい彼女は言った。

「自死せざろう得なかった彼女には、それ相応の辛さや絶望があったろう。でも…でもね、もう少し早く、どうせ来るならあと1時間早く地震が来たら、彼女はその光景を見て、生きようとする人たちとそれを支えようとする人たちを見て、思い直したかもしれない。やっぱり生きようと思ったかもしれない。あんなに立派なご両親がいてくれるんだから…。」


普段は気丈でプロフェッショナルな彼女が、静かにぽろぽろ泣いたのをよく覚えている。




震災から3年。未だ脱け出せない絶望と孤独の中で、被災者の中には自死を選ぶ方もいる。


ひとりにしてはいけない。

私たちは多大な犠牲の上に学んだ。支えることと、支えられることの大切さを。


どんなことでもいい、わずかでもいいから、生へのベクトルの矢を支える力になりたい。


どんなに暗くとも、前だけはわかり、その先へ歩んで行くために。














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