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2015年4月 5日 (日)

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第9回「権威の果実」

第9回 「権威の果実」

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分部の小品が久々に陽の目を見た某美術館の展示。

滅多に見れないんですよ。ある意味で。そういう意味で…。あとは勘案してください。



なぜ、日展は、日展作家は、権威に固執するのか?

それは、その権威に果実が実るからです。

具体的には、市町村などの自治体が、「権威」を基準に日展作家の作品を買ってくれるからです。

1970~80年代、ある市が公園にパブリックアートとして銅像を設置することにしたとしましょう。どんな作品を選定するでしょうか?


① まずは「地元出身か、地元に縁のある作家」が優位に立ちます。

② そしてその作家には、「市民が何となく納得してしまう経歴」が求められるかもしれません。

「内閣総理大臣賞受賞」、「日本芸術院会員」等…。美術的な評価は別にして、わかりやすいハクがついていれば、大方の市民は美術作品に深い知識は持っていませんので、「偉い先生のすごい作品なんだろうな」と思ってしまいます。

「美術的評価は別にして」というところも大切です。いくら地元出身でも、世界的に評価が確立しているような有名作家の作品では、一自治体、一市町村には購入できる経済的体力はありません。

③ 更に、「作品の当たり障りの無さ」も重要です。

あまりにも奇抜で前衛的な作風で、賛否両論が巻き起こるようなことになったら、市としては面倒です。なるべくおとなしいのがいい。

「こんなところに銅像があったっけ?」「あそこに銅像なんてあったっけ?」くらいの存在が良い…。


④ そして、「美術品」である銅像は、当然他の物品のように競争入札にはなり得ません。

「ここにふさわしい作品だからこれにしました。」と言ってしまえばそれでおしまいです。

「美術品」の値段だってあって無いようなものです。権威に値札が付いているようなものです。言い値で購入してもとやかく言われません。

また、そういったパブリックアートは公共施設の再整備などとリンクして設置されるケースが多く、帳簿上「美術品購入」として計上されていないこともしばしば…。

無限のようにある「設備費」「調度品」の項目の中に隠れ、その会計資料は短い保存期間が過ぎれば消えてなくなります。


こういった、「公共施設に美術作品を置いて、市民が芸術と触れ合う機会を作ろう!そうしよう!そうした方がいいよね?!」

というクライアントである自治体の要望に対して、
ぴったり答えるのが日展作家の作品と言えるでしょう。



分部順治と彼の作品は、前橋市においてそれらに完璧に答えていました。

昭和28年に前橋市初のパブリックアートとして通称「建設と平和像」を建て、前橋市との関係を築いたのち、彼は日展の権威の階段を駆け上ります。


そして、それに合わせるように、特に1970年代後半から80年代後半にかけての10年間は、ほぼ1年に1体の勢いで、彼の作品は前橋のありとあらゆる公共スペースに増え続けました。


さて、気になるお値段は?

今にしては、その金額を知る資料は闇の中です。


しかし、その世界に詳しい方のお話では、一体二百万~数百万(当時)であったろうとのことです。

そして大きなものは数千万円。詳しくは書きませんが、前橋市内で最も大きな分部の銅像は、あまり聞かない名前の財団法人からの助成を受けた県と市が、分部に発注して建てています。

その金の出所は…。宝くじの収益金なんです。宝くじの収益金(つまり皆さんが買ってはずれたそのお金)は、「宝くじ号」みたいな献血車になっているだけじゃなかったんですね。

それが市内に20体近くも…。市外にもたくさんあります。

当時の物価を現在に換算すると、億単位規模になります。


分部順治は、このように大変優れたビジネスモデルを開拓しました。

地方都市のパブリックアートのパイオニアとして道を切り開き、としておそらく他の地方都市にも、第2、第3の分部のような日展作家がいて、銅像を売りまくったことでしょう。

しかし、この市と分部との強力なコネクション。
市から分部に支払われる購入代金という一方通行の金の流れだけで、35年近くも維持していけるのでしょうか?

市は本当に、分部にただ何となく仕事を発注してきただけなのでしょうか?どうして分部だけを儲けさせていたのでしょうか?

いや、推論だけで話をするのは良くありません。やめておきます。


抱えきれないほど収穫された「権威の果実」は、籠からこぼれた実もあることでしょう。

それを誰が食べたかは、いまは知る由もありません…。



ほぼ毎年銅像が増え続けた10年間に時を合わせるように就任していた当時の市長は、1988年に選挙で敗れ退任します。

 

市長が変わると、突然、市と分部との関係は切れました。


蜜月は終わったのです。



時代は、バブル崩壊の崖っぷちにさしかかっていました。




過去の連載記事

「 前橋、名前の無かったもの巡り③ 前橋駅前「建設と平和」像」

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第2回 「街に『ハダカ』がやってきた。」

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第3回「銅像は誰が建てたのか?」

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第4回「石を投げれば分部にあたる。」

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第5回「略歴は語る。」

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第6回「日展。在野にして在野にあらず。」

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第7回「モニュメント」

前橋、名前の無かったもの巡り③前橋駅前 『建設と平和』像。第8回「夫婦漫談」










 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

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