2015年6月21日 (日)

広瀬川美術館。その裏側は…。

Dsc_2741
前橋、広瀬川河畔に建つ瀟洒な建物。

今は「広瀬川美術館」となっています。

画家、近藤嘉男のアトリエとして建てられました。

その後、彼が主催する絵画教室「ラ・ボンヌ」として半世紀を経ました。

子供の頃から、「オシャレな建物だなあ…。」と思っていましたが、現在は国登録有形文化財に指定され、「広瀬川美術館」として昔のままの佇まいを保っています。

Dsc_2722
二階からは広瀬川が一望できます。

Dsc_2724
内部は意外に広く、落ち着いた部屋が続いています。

Dsc_2726
まるで時間が止まったかのようなモダニズム…。

Dsc_2728
北向きの部屋に、広瀬川沿いのケヤキが木漏れ日を落とします。

Dsc_2736
入館料は500円ですが、この世界にわずかしかないレコードプレーヤー(電気を使ってない!)に乗せられるSPレコードを持ち込んだ方は無料になるという粋な計らいがあります。

管理人さんは、画家、近藤嘉男さんの息子さん。

寡黙な方ですが…、

私 「子供の頃から素敵な建物と思っていましたが、内部がこんなに広いとは思いませんでした。」

近藤さん、ニヤッと笑い、

「建蔽率違反だからね。建て増しに次ぐ建て増しだけど、今は文化財になっちゃったから、もう誰にも怒られないよ。」



さて、この広瀬川美術館を自転車で後にするとき、建物の裏側が駐車場になっていることに気づきました。昔は何か建っていたような気がするが…。

そう思って美術館の裏側に入り美術館を見てみると…、

Dsc_2747
えー!普通の民家じゃん?!

落ちそうなベランダに洗濯物も干してあります。

エアコンの室外機も落っこちそうです。

裏側に生活感が凝縮されていました。


「いいものを見たな…。」


なんだかそう思い、ペダルを踏んだ梅雨の晴れ間の休日。







































2015年6月11日 (木)

前橋 龍海院の謎。

Dsc_2764
前橋、紅雲町に建つ「龍海院」というお寺。

江戸時代の前に建てられました。

戦時中、前橋の空襲でも焼け残り、多くの避難民を収容しました。

ですので、未だに幼い頃ここで過ごした思い出話を語るお年寄りのお話を多く聞きます。


Dsc_2758
この龍海院の奥に、立派なお墓がいくつも建っています。

Dsc_2748
通路を挟んで、大きな墓石が並ぶ霊廟です。

どんな方たちが眠っているのか?

ここには江戸中期から幕末までの、姫路藩主の墓が並んでいます。


…え?なんで?

どうして前橋のお寺に、あの国宝姫路城で名高い姫路藩(現兵庫県)の藩主のお墓が並んでいるのか?

およそ120年に渡る10名のお殿様が眠っています。姫路のお殿様が、前橋に。なんで?

もちろん、それには理由があります。

しかもその理由には、やむにやまれず、抜かれた刀があるのです…。




その昔、豊臣秀吉は有能ですが危険と考えた家臣、徳川家康に関東行きを命じました。

家康は古くからの家臣を引き連れ、関東を目指し、やがて江戸を切り開きます。

その時追いてきた家臣、酒井家に、北の要衝前橋の守りを命じます。

そこから酒井家は前橋藩15万石の譜代大名筆頭として江戸時代の幕開けを迎えます。


名門中の名門ですが…。

前橋藩は貧しい土地柄、15万石というのは権威のための名目で、実高はそんなに多くありません。

しかも、利根川が氾濫の度に農地は荒れ、前橋城さえも削り取って行ってしまいます。

領民は疲弊し年貢もままならず、おまけに城の修繕費も莫大な額がかかり、名ばかり名門ですから江戸幕府内での付き合いでも見栄を張るために出費がかさみ…、

そんな中、ついに利根川は前橋城を丸ごと持って行ってしまいました。

名門が今や城なし石なしの藩主です。

酒井家がそんな惨めな思いをしていたちょうどその時、遠く姫路藩で藩主が若くして亡くなりました。

姫路藩に残されたのは幼少の子息のみ。名城姫路城を擁する要衝、姫路藩をこのまま幼子に任せて良いものか…?幕府内にそんな不安がよぎりました。


それを聞きつけた前橋藩の老中、本多光彬と、用人、犬塚又内は、「これはチャンス!」と考え幕府に裏工作を開始します。

つまり、姫路藩へのお国替えです。同じ15万石と言いながら、姫路は機内の先進地、内実はより豊かであり、なににもまして城なし藩には眩しい輝きを放つ姫路城がそびえているのです。

二人の工作は首尾よく進みました。

もちろん幕府に対する工作は口だけではありません。江戸幕府を動かすには賄賂が付き物。多額の金品が費やされました。

その賄賂の金をどこから捻出するかと言えば、すでに厳しい暮らしをしている領民から搾り取るしかありません。領民の暮らしはますます困窮を極めました。

しかし、九代藩主酒井忠恭(さかい ただずみ)も、「え?!姫路城もらえるの!超ラッキーじゃん!スゲー!」と乗り気です。

そんな中、前橋藩のもう一人の老中、川合定恒(かわい さだつね)はこの工作に猛反対しました。

「前橋藩は家康公より直々に任された土地である。その土地を城欲しさに移ろうとは忠義に反し言語道断。しかもそのために領民の暮らしを脅かすとは何事か!」

まあ、おっしゃる通りです。

しかし、君主の意向もあり、本多と犬塚から、「お前も悪いようにはしないから。な?」と説得され、しぶしぶ川合も了解し、姫路藩へのお国替えは成功しました。

姫路藩に順次引っ越しの際中、姫路城下の船場川が大雨で決壊、大洪水になりました。

先だって姫路に入り引っ越しの準備をしていた川合は、独断で避難民を城内に収容、被災者に米蔵から備蓄米を与え救済しました。

その後、引っ越しは無事に終わり、酒井家は姫路藩主となりました。

川合は、自邸に本多と犬塚を招き、慰労会を催しました。

以下、ちょっと時代小説風に書いてみます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三名の宴席は酒が進んだ。

お国替えは大事業であるとともに、洪水の被害もあり難を極めた。三人三様ながら肩の荷が降り、一息つくにはうってつけの酒席であった。

「川合、お前を悪いようにはせんと言っただろ?」 本多が酔いに坐った目でそう言った。

「引っ越しのどさくさで、お前、米蔵を空にしたが、わしと犬塚で殿を言いくるめたからこそ沙汰なしで済んだのだ。ありがたく思え。」

川合は静かに杯を傾けている。

犬塚が気を遣い、「まあ、今回の洪水で一時は石高は減るでしょうが、前橋に比べれば気にすることはありません。領民の死んだ数も400人程度で済んだ。たいしたことはない。」

「…400人で済んだか…。」川合は先ほどから肴に箸をつけていない。杯だけを傾けるのみである。

「ろくに野良にも出んで、大水の度に一揆ばかり企てる水飲み百姓だ。400人ぐらい減ってもまだ足りんくらいじゃ。」本多はがなり立てた。

「川合、なにを暗い顔をしておる?お国替えで殿も大喜びだ。白鷺城も手に入った。俺たちの禄高も上がった。こんなに喜ばしいことはない。」

「酒井家は譜代筆頭。しょせん上野前橋では役不足だったのです。」そういう犬塚も顔を赤らめながら川合に酒をすすめた。

「川合殿、よく説得に応じてくれました。川合殿の奔走あっての大成功です。ま、一杯。今日はいつになく杯が空きますな。肴を召し上がらないと悪酔いいたしますぞ。めでたいめでたい!ははははは!」

「…めでたいめでたいか…。」また、川合が伏し目がちにつぶやいた。

「…確かにめでたい。酒も進むな。ずいぶんと酔うてしもうた。失礼。」

川合は体を後ろに投げ出し手を突いた。楽な恰好のまま二人に続けた。

「我々はその通り。めでたいめでたい。しかしな、どうしてもわしはこのお国替えは家康公への忠義に反すると思うのだ。」

川合は天井を見上げた。そういえばこの酒席で、川合は一度も二人と視線を合わせていない。

「前橋藩の領民を苦しめて、その金のおかげ相成った。でめでたいめでたいだ。わし達は遠い姫路でうまい酒と肴で遊んでおるが、残された前橋の民は更なる苦境にあえいでおる…。」

「川合、酒に飲まれたのか?ろくに飲めんくせに。」本多が不機嫌そうに言った。

川合は体の向きを変え、床の間に手を伸ばしながら続けた。

「それを思うとな…、わしはどうしても、おぬしら二人を許すことができんのだ…。」

言い終わった時には、すでに川合の左手に床前に掛置してあった太刀が握られていた。

あまりの自然な仕草に、本多と犬塚は未だ膳の前に坐している。

「川合…?!」

本多があわてて立ち上がろうとした時には、すでに白刃が翻っていた。

本多はそのまま膳の上に突っ伏し動かなくなった。

犬塚は背後に走り自分の刀を取ったが、後ろから袈裟懸けに切られ右手は柄ではなく空を掴み、どっと倒れた。

二人の絶命を確かめ、川合は酒の残った自分の杯を飲み干した。

そして城の方向に僅座し自害した。

ほんの二三日前まで引っ越しの荷物であふれていた屋敷は、すでにもぬけの空になっていたという。

隣室には君主への謝罪の書状がしたためてあった。

酒に飲まれたうえでの凶行でないことは、明白であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この事件は瞬く間に城下にとどまらず世間に拡がりました。

当然、新しく姫路藩主となった酒井家の評判も悪くなるばかり。

「なんだ、今度の殿様は前橋の民を見殺しにして作った金で姫路藩を買ったのか。」と揶揄されます。

酒井の殿様が「違うよお!幕府がこっちに国替えしろって言うから来たんだよお!別にお城なんか欲しくなかったもんね!僕!」と言っても誰も相手にしません。

それからしばらくして藩主酒井忠恭は亡くなります。

さて、どこにお墓を作るか?

元の菩提寺は前橋藩の龍海院です。しかし、現在は姫路藩主となりましたので、姫路に菩提寺を移すか、新しく設けるのが一般的だったようですが…、

酒井家はそうしませんでした。というか、できなかったのです。

そうしてしまうと、世間で「ああ、酒井の殿様はもう前橋時代はなかったことにしたいんだね。黒歴史だから。姫路デビューってわけか。ひどいね。」と言われるのが目に見えています。

「そんなことありませんよ!前橋のことは忘れてませんよ!民を犠牲にしてお国替えなんてそんなことしてませんよ。今でも前橋の領民と心は一つですから!」

…という体を繕うため、姫路藩主酒井忠恭は死後、遠い前橋に運ばれ龍海院に埋葬され墓が建ちました。

その後の藩主も同様に龍海院に墓所がつくられ、それは代々幕末まで続きました。


よって、前橋のお寺龍海院に、歴代姫路藩主10名の墓が建ち並ぶことになったのです。



さて、川合家は事件のあと御家断絶となりましたが、「川合の言うことにも理がないわけでもない。」ということで、子孫は苗字を「河合」に変えて城勤めを許されます。

河合家は優秀な人材を多く輩出し、特に河合道臣(かわい ひろおみ)は江戸時代後期に姫路藩の名家老として「姫路に河合あり」と謳われました。

彼の業績は、飢饉に備えて領地各地に米の備蓄庫を整備したり、サトウキビなどの付加価値の高い商品作物の作付けを進めて領民の生活を豊かにしたことでした。

また、木綿生産が盛んだった藩の綿製品を、大阪商人を介さず江戸に売る独自のルートを築くなど政治力を駆使して姫路藩の財政を立て直しました。

そのおかげで姫路藩は江戸後期には飢饉においても死者を出すことがきわめて少なかったとされています。

河合道臣は晩年の号「寸翁」の呼び名で、今でも兵庫県の人々の尊敬を集めています。


常に民のことを想った川合定恒の遺伝子が、絶えることなく後世に受け継がれたのかもしれません。








2015年4月13日 (月)

千本桜は満開でした。

Dsc_2587
合併で前橋市になった粕川。今日は最も粕川に人が集まる日。

粕川の赤城南嶺に桜のトンネルがあります。その名も千本桜。

実際に千本あるのかは知りませんが、今日は満開で、日曜日で、明日は雨。

ものすごい人出です。

Dsc_2574
でも、まっすぐにロードバイクで行きません。電車を利用します。

上毛電鉄、中央前橋駅からサイクルトレインに乗っていきます。

Dsc_2577
春のうららの広瀬川。上電ホームから望む広瀬川はいつ見ても穏やかで、絵になります。

Dsc_2571
はい。今日も電車独占です。上電、春のデコレーション。

自転車の私と、押し車のおばあさんが一人…。

はっきり言って、自宅から粕川なんてロードバイクなら目と鼻の先なんですよ。

この電車の発車時間を車内で待つ間(上電はだいたい30分おきの発車)、走っちゃえば着いちゃうんですよ。


でも…、乗らないとねえ…、乗らないと上電なくなっちゃうから…。

という思いで乗ったけど、前橋から粕川までの運賃が540円!距離にして20㎞程度。すごいね!さすが全国最高額運賃路線!


おい!都内で貧乏学生をしていた私にしてみれば、540円あれば…、

都内の自宅から横浜スタジアムに行って、お決まりのベイスターズの負け試合をビール飲みながら観てもお釣りがくるよ(入場料は別)!

ポケットに小銭があればホエールズ時代からのハマスタ名物ちくわが食べられるかもしれないよ!


もう上電は「庶民の足」ではない…。この路線をこの先残すには、何かにつけて乗るだけでは、もう無理だろう…。

並行するJR線の一部分を廃線にするか乗り入れにするかしかないだろう。そんなことは無理だけどね。


Dsc_2591
桜のトンネル。さすがの千本桜。延々これが続く。

ここに至るまでは車の大渋滞。何百台が全く動きません。

そこをすいすい自転車で。

途中、車の助手席のお姉ちゃんが、「いいなあチャリは…。」というつぶやきが耳に入ります。

子供が泣いています。泣く子供を乗せてUターンする家族連れの車も多いです。

少年達よ。いま胸に刻んでおけ。自転車で行けばいいじゃないか。

車はどこにも行けそうで、結局はどこにも行けないんだよ…。


たくさん自転車乗りにも遭遇しました。

みんなピタピタの服ですから、自転車を降りても目立ちます。

ちょっとだけ美人女性ライダーとお話を。

「今日ここに車で来るなんてナンセンスですよねえ。」

「そうですよねえ。自転車で来てる人がホントに多いですよね。そういう時代になったんですね。私たち女の子も含めて」

「ここから先に行きますか?」

「まだ時間が早いんで、初めてなんですけど16号線を登って大沼まで行ってみたいんですけど…。キツイですか?」

「まあ…、途中のパノラマ展望台辺りは勾配14%程度です。キツイですけど、表の赤城県道とは違った赤城が楽しめますよ。是非どうぞ。」

「林道もあるみたいですけど…」

「ええ。あるんですけど、確かに誰ひとりいない林間を走れるんですけど、春なんでねえ…。鹿と猪と、運が悪いと熊が…」

「熊も出るんですか?」

「ええ。私はやや離れたところから熊笹の中に真っ黒い背中を見ただけですけど…、やっぱり遭遇すると、グッときますね…。今の時期は林道はやめておいた方がいいと思います。」

「わかりました。無理かもしれませんけど、16号で行きます!」

彼女そうは言うけど、サッと走り出した後ろ姿はなかなかのベテランの脚ぶり。

きっとなんなく登っちゃうんだろうな…。


来週はツールド八ヶ岳に初参戦ですが、ちょっとしたケガで3か月近くも自転車ブランクがありました。完走さえも不安です。


完走を目標にしよう。そうしよう。ゆっくり走ろう。

(という体にすることで、次回参加以降の伸びしろを保とうとするいやらしい大人がここにいますよ!)







2015年4月 5日 (日)

高崎駅。謎のフクロウと鳩。

Dsc_2559
高崎市美術館からお手紙と招待券が…。

前橋駅前の銅像、通称「建設と平和」像の謎を追いかけて、様々な方に調査のご協力を頂いております。

そんなお世話になっている方の一人、高崎市立美術館の学芸員Sさんからお手紙が。

「高崎が郷土の作家たちの展覧会を開きます。分部の作品も久々に陽の目を見ます。是非お越しください。」

ありがたいことです。



Dsc_2561
JR高崎駅。そして当然のように駅前ロータリーには分部作品が建っています。

「希」と「望」。合わせて希望。…わかりやすい…、わかりやすいよ。だがしかし…。

私はこの調査を通じ、100m先からでも銅像を見れば、「あれは分部」「あれは分部じゃない」と言い切れるほどのスキルが身に付いてしまいましたが、この高崎駅の銅像に関しては、ちょっと他とは違うニュアンスを感じてしまいます。

それは、銅像に寄り添っている…

Dsc_2561_2
このフクロウと、

Dsc_2561_3
この鳩。


なにこれ?唐突に。なにか意味があるのか?

わからない…。ここが分部らしくない。今後の宿題だ…。


Dsc_2566
展覧会のエントランスが、分部のスペース。

入場券を買わなくても、分部の作品だけは無料で観られます。

その先からが有料です。

分部の作品の美術的価値について、私はなんら言うことはありません。

このような扱いの立ち位置を、どうくみ取るかは皆様の判断にお任せいたします。

Dsc_2564
美術館に隣接する旧井上房太郎邸。

ここで1時間ほど学芸員Sさんと戦後のパブリックアートについて率直な意見交換をいたしました。

内容はあまりにも率直過ぎて掲載できません。オフレコということで忌憚なくご意見をうかがえました。

お忙しい中ありがとうございました。















2015年1月18日 (日)

小江戸川越、五百羅漢で自分を探せ!

Dsc_2540
小江戸川越。今日はいまさらながら初詣で…、


Dsc_2430_640x331
川越大師、喜多院へ。

お賽銭をはずみまして(五十円)、手を合わせた後、五百羅漢像を見物に。

Dsc_2534
みっしりと、様々な表情と格好をしたお地蔵様が所狭しと並んでいます。

どれかひとつくらいは自身に似ているお地蔵様に出会えるというこの五百羅漢。

自分探しをしてみようと思います。


しかし…、個性あふれるその面々。いくつかご紹介させていただきます。

○「てへへ…!」編。

普通のお地蔵さんも多いのですが、特徴的なポーズをとっているのも多く、特に「てへへ…!」はお得意のようです。


Dsc_2489
「てへ!」

Dsc_2512
「てへへ!」

Dsc_2508
「いやはや…、てへへへ…。」


Dsc_2494
「あれ?たい焼きなんて買ったっけ?」



○すね打ち編。

どうやら皆さん、急所のすねをやたら打っています。


Dsc_2535
「おう!すね打った!痛て!」 (軽度)


Dsc_2510
「かー!いってえー!」 (中度)


Dsc_2470
「…んはあー、んんん!かえって爽快!」 (重度)


Dsc_2530
単にすねている人。



○飲み屋編

Dsc_2506
「まあ、どうぞ一杯。」「いや、すいませんねえ」

Dsc_2467
「俺の酒が飲めねえのか!」「てめえこそ飲みがたんねんだよ!」

Dsc_2516
「お客さん、もう看板ですよ。」「ひえっく!おーい枕!さくら持ってきてくれ!」



○お賽銭編

お賽銭の額に不満がある様子です。

Dsc_2474
「1円…、か…。」


Dsc_2533
「ん?1円?」

Dsc_2532
「あ、やっぱ1円だ…。」

Dsc_2478
「オレ56円~!!やり!」



○裁判編

なにかと裁判沙汰が多いようです。


Dsc_2465
「勝訴!」

Dsc_2466
「不当判決!」

Dsc_2499
集団訴訟


○昭和のモノマネ

モノマネが古いです。

Dsc_2523
「どうかひとつ!どうかひとつ!」 小松政夫さん。


Dsc_2525
「なんだバカ野郎!」 荒井注さん。

Dsc_2484
桂枝雀師匠。(激似!)


○関わりたくない人々

Dsc_2509
パンチ。


Dsc_2498
バーで女の子の悩みを聞いているオネエ風の人。


Dsc_2481
人の話を聞くときいつもこんな態度の人。


Dsc_2502
どういうわけかこんなもの持っちゃってる人。


Dsc_2483
内臓出しちゃってる人。

Dsc_2492
「え?!私の年収低すぎ?!」の人。



○いまさらそんなこと言われても…


Dsc_2528
「…あなたの子なの…。」

Dsc_2524
「ええーーー!!!」




まあ、こんな感じで様々な挙動不審な、いや失礼、バラエティーに富んだお地蔵様が並んでいるわけで、自分に似た姿を行ったり来たりして探します。


ところで、参拝ついでにおみくじを引いてみました。

「どうか来月に組まれている実験で、自分の予想通りの結果が出ますように…!」とお祈りしおみくじを開けてみると…。

Dsc_2544
末小吉…。裏側の説明書きには…、


Dsc_2546
「職業に支障があり、物事が思うように行かないことでしょう。」



Dsc_2500
…あ、いた。自分だ…。

















































































2015年1月 8日 (木)

一期一会。

150x150_square_25013920_2
川崎の某中華料理店。(イメージ)


10年以上前、私は30歳をまたいで学生に戻りました。

都内のキャンパスに川崎から通っていました。都内は家賃が高いんでね!

川崎でパート勤務をしながらの夜学生でお金もない。

毎日のように豆腐ばかり食べていました。

今でも学会などで当時の同僚と顔を合わせると、「今でも豆腐ばかりなの?豆腐好きだね。」と言われるくらいです。


たまにの外食は、小さな駅の場末にある某中華料理屋さんでした。

台湾の人々が切り盛りする中華料理屋さん。皆さんいい人なのですが、あまり日本語が通じないお店です。でも安くてうまい!

その店は冷やし中華がすごく旨かった!季節もので義理で食べる冷やし中華なんていうレベルじゃない!3種類あって、二色麺だったり辛いのがあったり…。絶品でした。


去年の夏の終わり、出張で横浜に行った帰りに足を延ばして川崎の(といっても道一本越えると横浜ですが)その店に行ってみました。

冷やし中華を食べたのですが…、うーん、あの頃の味じゃない。

店主さんもコックさんも変わってます。

自分もおそらく変わっている。

…時が経つと、すべては変わります。仕方ない…。

一期一会なんですね。美味しかった思い出を大切にしよう…。




うろ覚えですがフロア係の30代の女性は、当時と同じ人のようでした。


お会計をして、駅に向かって歩いて行くと…。


「お客さん!すみません!」

と、そのフロア係の女性が追いかけてきます。

「え?は、はい?」

彼女 「お客さんは、10年くらい前に何度か来て下さった方ですね?」

私 「え?ええ。10年くらい前に何度か…。店ができた頃ですかね。」

彼女 「私、台湾から来てずっとこの店に勤めてます。あなたのこと覚えてるんです。」

私 「僕のことですか?」

彼女 「はい。私が勤め出したころ、失敗ばかりで、うまくできなくて、言葉もよくわからなくて…。」

私 「ええ…。」

彼女 「もうやめて国に帰ろうと思ってたんですけど…。でも、ある日、また間違えて、あなたの会計と他の人の会計を取り違えたんです。あなたはお酒のせいか、ずいぶん少ない会計に気づかないで帰って行った。」

私 「えー、そんなことあったようななかったような…?よく覚えてません。すみません。謝ります。」

彼女 「違うんです。私、店長に怒られて、もうやめようと思ってたら、1時間くらいしてあなたが『会計が間違っているのではないですか?』って帰ってきた。」

私 「そうでしたっけ?」

彼女 「あなたはきちんと清算してくれて、出て行ったので、私は追いかけてお礼を言いたいと思ったんです。でも店の用事があって出られなくて、窓からあなたを見ていたんです。そしたら、あなたはまっすぐ駅に入って行った。」

私 「…ええ。」

彼女 「あの人は、わざわざ電車賃を払ってまで、あたしの間違いの清算をしに来てくれたんだと思ったら、すごくありがたくて申し訳なくて…。」

ここから、彼女は涙声でした。

彼女 「ここは、いいところだって、初めて思えたんです。ここで頑張ろうって思えて…。ありがとうございました…。」



ずいぶん日本語もうまくなったようです。

生まれ故郷から遠い地で、辛いこともたくさんあったでしょう。


私は、そんなことすっかり忘れていました。はっきり思い出せません。


でも、人と人との関わりはそういうものだと思います。

私にも感謝してもしつくせない大切な方々がたくさんいます。

そして、知らないところで、自分も誰かにとってのそんな一人になっているのかもしれません。

What a wonderful world。

一期一会。





2014年6月16日 (月)

神戸・大阪、片足だけクロックスの旅。

Dsc_1816
めずらしく仕事の話ですみません。

出張で3日間神戸に行っておりました。

ポートアイランド神戸国際会議場その他で行われた学会に参加。

全国あちこち旅しているわりには、神戸は初めてなのです。

Dsc_1858
2万人くらい参加する大きな学会ですから、企業展示ブースもきらびやかですな。

有名企業さんの社員の方は暑い中きっちりスーツですが…、いいスーツ着てますね…。

きっと私の給料の倍以上はもらっているんでしょう…。


最近はクールビズがすっかり当たり前になりまして、カジュアルジャケットで発表してもなんら違和感はありません。梅雨の晴れ間で暑かったので助かりました。いいスーツ持ってないし。



日中は会場に入り浸りですが、夜はおいしい食事をいただきに…。

Entrance
神戸プレジール。1か月半前くらいには予約でいっぱいになるという人気店。

神戸牛の鉄板としゃぶしゃぶ、そしてこの店名物の「神戸牛のせいろ蒸し」が大変おいしいお店ですが…、なんといってもこちらはJA兵庫の直営店でして、農家の方々が丹精込めて作られた特別なお野菜をたっぷりいただけます。

写真を撮るのは遠慮しましたので、ヴィジュアルは何もなく申し訳ありません。


この産地を代表する野菜たちが目に楽しく舌にうれしい!歳とってきたので野菜の滋味がわかるようになってきたのかもしれません。

淡路島の新玉ねぎもおいしかったですね。淡路島って周辺の海に玉ねぎがプカプカ浮いているそうです。ホントです。なぜ浮いているのか知りたい方は調べてみてください。

04009
いや、本当なんだって。「玉葱産地の海には玉葱が浮いている。」DPZより。
(尾張さんすみません。勝手に画像を張らせていただきました。)


Dsc_1956
ホテルの窓から見えた「関西マンドリン合奏団」のフォントがだいぶかわいかった。


Dsc_2001
学会会場は東日本人口が多く治外法権でエスカレーターに立つのは左ですが、一歩地元駅に降り立つと途端に右になります。アウェイ感をひしひしと感じます。


神戸は阪神も阪急もポートライナーも乗れて、それほど電車好きでもない私もうれしくなります。

Dsc_2002
でもなぜ駅の阪急や阪神の表示は「阪急線」「阪神線」ではなく「阪急電車」「阪神電車」なんですか?
「JR電車」「京急電車」「東急電車」なんて関東では書かないのに…。詳しい方がいらっしゃいましたら教えてください。


Dsc_1989
学会を後にし、帰りがてらちょっと大阪へ。


アジアからの観光客の方が多く大変活気がありますね。

中国・韓国・台湾・タイの皆さんがたくさん大阪の夜を楽しんでいます。

Dsc_1986
道頓堀クルーズ船に乗ってみるとジャパニーズは私だけです。

船員のお姉さんの説明は大変楽しく、私のような大阪をよく知らない関東人には豆知識たっぷりで面白いのですが、なにせ日本語ですから他の乗客はなかなか理解できません。


唯一の日本人であることがバレると、隣のタイからきたおばちゃんが、「今何言ったの?何言ったの?」と聞いてくる。

お酒が入っていたのでいいかげんな片言英語混じりとボディランゲージでお姉さんの説明を実況します。ハイテンションで。


船員のお姉さん 「道頓堀川は意外に水位が深く落ちると危険ですから船から身を乗り出さないでくださいねー!」

タイのおばちゃん 「what?」

私 「Doutonbori River very very deep and more more dirty!!  Do not jump into the river!! 危ないよ!落ちるなよ!絶対に落ちるなよ!(関西芸人さんの振り風に)」

船員のお姉さん 「あのー、私、ダーティーとか飛び込むなとか言ってませんけど」(失笑)


でもほとんどの外国人観光客の皆さんがi-pad持って調べながら旅してるんですよ。
だから、この道頓堀クルーズもHPに大まかな説明を各国語で載せておけば良いのにね。

または各国語の音声でリアルタイムに聴けるようにするとか。

もっともっと海外の方向けのサービスができるんじゃないかと思いました。


Dsc_1996
しかし、ずっと片足クロックス。指折れてて、これじゃないと歩けないんです。


ていうか、どうせ出張帰りの観光で服と靴をよりカジュアルに着替えたんだから、両足クロックスでいいのに、うっかり片方しか持ってこなかった。

おしゃれな大阪の皆さんは、「あれはあの人なりのおしゃれだ」と思ってくれたでしょうか?

































2014年4月13日 (日)

前橋の路面電車。

Dsc_1612
運転手さん、笑顔が素敵です。今はどうされているのでしょうか…。


私が生まれるはるか前に、前橋には路面電車が走っていました。


前橋駅から伊香保温泉へつながる、東武のチンチン電車です。

明治から1950年代中頃まで。路面電車を懐かしく語るお年寄りも、そう多くなくなってきました。



Dsc_1617
街中は路面電車らしいですが…、


Dsc_1615
郊外に出るとこんな感じ。

今で言うところのバスの風情です。しかも隣には荷車を牛で牽いているおじさんがいます。


伊香保まで電車で行けたらずいぶんのんびりした休日が楽しめるのになあ。


今ではその面影を伝えるものは、全くと言ってよいほどありません。


…が、しかし、あるところにはあるんです。しかも身近に…。



Dsc_1669
前橋公園の隣、利根川沿いの親水公園。

20年ほど前に、河川敷にこの公園ができた時は、「大丈夫なのか?毎年の増水で沈むんじゃないか?」と心配しましたが…、

実際、できてすぐに増水で泥水に浸りました。「浸水公園」と揶揄される由来です。


その後は治水対策を徹底しどうにかなっていますが、そもそも前橋は古くから利根川の増水・洪水・流れの変化に翻弄されてきました。

江戸時代、前橋が城なし、藩主なしとなったのも、利根川が何回もお城を流しちゃったからです。


ということで、親水公園の南端にも、古くからの治水のための設備が残されています。

その一つが「大聖牛」


Dsc_1660
川岸に、ヤグラ状に組まれた鉄骨が 建っています。



「大聖牛」というのは、川の流れが岸を侵食しないよう、流れを食い止め、砂地を保全する防流堤の一種です。


この大聖牛は昭和30年に設置されました。


ん?これが前橋の路面電車とどんな関係があるかって?


Dsc_1662
どうか良く見てください。実はこの鉄骨、レールなんです。


そう。廃線になった路面電車のレールを再利用したんですね。

Dsc_1656
もう、後から生えてきた木と一体化しています。

ということは、ずいぶんこの川岸の砂地を守って来たんですね…。

そしてこれからの遠い未来も、その役割を続けていくのでしょう。



公園の片隅に、過去と現在と未来が交差する風景が、静かにたたずんでいます。


機会がありましたら、ぜひどうぞ。




















2014年4月 5日 (土)

福島市飯坂温泉・共同浴場コンプリートツアー!①

Dsc_1543
福島市の奥座敷。飯坂温泉。


この温泉は何しろ熱いそうです。そして、私の地元、群馬県の草津には及びませんが共同浴場が9つある。

群馬県でいえば、前橋の奥座敷の伊香保と、熱くて豊富な湯量を誇る草津を合わせたような温泉地でしょうか?

行ってみました。飯坂温泉へ。



4月1日(火)、17:30。前橋駅。

仕事帰りに輪行で電車に乗ります。もちろん切符は青春18きっぷです。

のんびりと福島へ…。

Dsc_1523
23:07 福島駅に到着。

東口の繁華街にある安ホテルに宿泊し、遅くまでやっている居酒屋で夕食。けっこう魚旨し。


前橋だったら、この時間に街中でまともなご飯にはありつけません。頑張れ前橋。



4月2日(水)、福島交通飯坂温泉線へ。


Dsc_1604
駅ビルのメインのJR線からかなり離れた場所に、こつ然と姿を現す飯坂線のりば。

Dsc_1603
ビルの谷間のターミナルです。ちょっと雰囲気が上電に似ている。


Dsc_1600
ホームは阿武隈鉄道と共有です。間違わないようにこの列車に乗りますよ。

Dsc_1540
福島交通飯坂線は日中サイクルトレインを実施しています。

旅先で、自転車の輪行袋への出し入れが少なくて済むのはありがたいものです。



Dsc_1541
次第に街を離れ、のんびりした景色が多くなります。


Dsc_1546_2
電車に揺られること数十分、飯坂温泉駅に到着しました。



駅を出て、すぐそこから共同温泉コンプリートツアーははじまります。


今日は駅で手にした「飯坂温泉湯めぐりマップ」の番号順に自転車で共同浴場を周ってみたいと思います。




あ、最初に言っておきますが、これらのお風呂は有料です。


入浴料は200円(一軒のみ波来湯は300円)。おそらく地元の方たちは割引券や無料券で入っています。

9つの共同浴場のうち、7つは本当に地元の方の普段のお風呂です。

ですから、他人のお家のお風呂の入らせていただく気持ちで伺います。


群馬の草津や猿ヶ京は、共同浴場はほぼ無料です。地元の方が清掃や管理をされている。

でも、特に過疎の温泉地の共同浴場は昨今の超高齢社会で成り立たなくなっています。

毎日の清掃を交代で行っていますが、お年寄りには大変な作業です。

ですから、動けなくなって、自宅にお風呂を作り、共同浴場の役務から離れる家も増えてきているようです。
(古い温泉地の家には元々お風呂が無いんです。共同浴場がありますから。)


その点、飯坂温泉の共同浴場はよそ様にはきっちり有料で、会社経営で成り立っています。私としては、この経営は温泉地の共同浴場の文化を伝える上で、妥当なのではないかと思っています。



①鯖湖湯(さばこゆ)

Dsc_1576
明治をしのぶ共同浴場。松尾芭蕉も浸かったとの逸話もあります。

建物は平成になってから建て直されましたが、造り出しの高い天井の浴室は大変解放感あふれます。

Dsc_1578
内部は写真を撮れませんでしたので、ポスターの写真を。


特徴は、脱衣場と湯場に仕切りがないんです。本当に解放感あふれます。

でも、地元の方と観光客の方でごった返してるメイン浴場です。

ですから、比較的温度も高くない。体感45度くらい(イヤイヤ、それでも熱いよ!)。

観光の中心地であり飯坂温泉の顔的存在です。


Dsc_1580
お湯樽や、

Dsc_1582
足湯や 、


Dsc_1579
神社もあります。





②波来湯(はこゆ)

Dsc_1548
駅の近くのこの施設は入湯料が他より高い300円。

なるほど、設備がすごい。お湯と水の出る水道が付いた洗い場がいくつもあります。昨今の銭湯みたいです。

しかもご丁寧に、熱い源泉掛け流しの浴槽と、加水したぬるい浴槽をふたつ用意しています。

熱いほうには5秒しか入れませんでした…。



ここまでが、飯坂温泉の観光名所。

この先、文字通りアンダーグラウンドに降りて行きます。




③切湯(きりゆ)

Dsc_1561
温泉街を流れる摺上川 (すりかみがわ)と道路の端に、切湯の案内板が立っています。
え?ここ?



Dsc_1563
この階段を下っていくのか…?

Dsc_1564
階段の途中に券売機と番台があります。券を買って番台のおばちゃんに渡し…、


Dsc_1566
更にこのトンネルを潜っていきます…。


Dsc_1568
辿り着きました、地下室の様なこの空間。


Dsc_1569
隅に祠も建っています。

夜は…、これないなあ…。


Dsc_1570
そして、川面に面した窓から光が差し込むこの浴槽。1畳半くらい。


そして温度計の針は49度を指しています。


えー、無理です。もう一度言います。無理です。


唯一ある水道栓からホースを伸ばし、うめさせていただきます。

だいぶうめまして、やっと入れました。


ホッとしたのもつかの間、外で物音が…!


ヤバい!おそらく地元の方が来た!


あわてて水道を締め、ホースを丸めて端に片付けます。

そして何食わぬ顔でお湯に浸かります。


ああああ、掛け流しの高温の源泉がどんどん浴槽の温度を上げていきます。
たまらなくり湯船から出ると同時に、ガラッと戸が開いて、おじいさんが一人入ってきました。


おじいさん、私を見るなり、

おじいさん 「熱いだろ?」

私 「ええ、かなり熱いです。」

おじいさん 「俺たちは慣れてるけど、よそから来たもんには熱いだろうからな、うめていいよ。」

私 「いや、大丈夫です。ずいぶん浸かりまして…、はい…。」

おじいさん、身体を洗いながら、 「遠慮することない。でもな、ここは階段があって薄暗いだろ?だから足の不自由な年寄りは来れないし、観光客もあんまり来ないんだ。だから熱い。それがいい。熱いぬるい言いあうこともない。」

私 「なるほど…。」

おじいさん 「でも慣れないならうめてくれ。かまわなねえよ。」と湯船に入りながら…、「ああ、もううめたのか。」

私 「…はい…。」

おじいさん 「いいんだ、いいんだ、あはは!熱いだろ?!」

私 「熱いです。あはは。」

おじいさん 「いいんだいいんだ。あははは。」


…、どうも地元の方は、飯坂温泉の熱さにまいるよそ者には優しいらしいです。

この先の共同浴場でも、その熱さに対するギャップが地元の方との話題の中心でした。


イヤイヤ、本当に熱いんだって。どう入るんだよ、49度って。



                                              …後編に続く。







































2014年3月20日 (木)

北関東小さな旅。 ②「宇都宮編」。

Dsc_1482
宇都宮。地元での略称は「みや」というらしいです。

水戸から輪行に切り替えまして、宇都宮を目指します。


同じ車両に、小学校2年生くらいの男の子と1年生くらいの妹の兄弟がリュックを背負って乗っていました。おじいちゃんのお家にでも行くのでしょうか?

電車が小金井にさしかかった時、車掌さんから「次は小金井。次の小金井では前方の5車両を切り離します。宇都宮方面へお越しの方は後方車両にお移りください。」とアナウンスがありました。

切り離し車両に乗っていたので、車両を移ろうと思いましたが、途中に運転席がありまして中を通っていけない。

「次の小金井でいったん降りてホームを歩けばいい。」と大人は考えることもなく思いますが、この子供たちはどうすれば良いかわからず浮き足立っています。


「君たちはどこまで行くんだい?」と声をかけると、お兄ちゃんは「石橋です。」と答えます。

(宇都宮の少し手前だな。)

するとお兄ちゃんが、「どうすればいいんですか?」と聞いてきました。

お、いい子だ。よく恥ずかしがらずに聞けたね。

「次の駅で切り離し作業があるから少し長く停まるよ。その間にこの先まで行く車両に移ろう。オジサンも一緒に行くから大丈夫だよ。」

ということで、小金井で子供たちを引き連れて移動しました。

子供達が石橋で降りるとき、お兄ちゃんは「ありがとうございました」ときちんと頭を下げ、妹さんは笑顔で「バイバーイ!」と手を振っていきました。

お兄ちゃん、この先きっとモテるよ。


さて、宇都宮には初めて足を踏み入れます。

巷の情報では餃子しかない街の様です。でもせっかくですから少しレアなところに行ってみたい。

観光名所としては大谷石の採掘跡の資料館がありますが、先日上司のSさんが探検し、お土産話を聞かせてくれたので他はないかなあと思っていました。


Dsc_1479
たまたま、電車の中で家の本棚から適当に抜いてきた15年くらい前に買ったアポロ計画についての本を読んでいると…。

「そういえば、ロケットの実物大が展示してある施設が宇都宮にあるって聞いたことがあるようなないような…」

スマホで探ってみると、あ、ありました。


Dsc_1485
ドーン。なんじゃこりゃあ!

実物大のH‐Ⅱ型ロケットの模型が、宇都宮の郊外に鎮座しています。

Dsc_1487
全長50m。ここは種子島か…。でもアポロで使われたサターンⅤ型ロケットはこの倍の100m越えです。1960年代に。アメリカってすごいね。


Dsc_1506
ここは宇都宮市郊外にあります栃木県立こども科学館です。

さっきのロケットはなんだかカウントダウンを始め、「リフトオフ!」でエンジンから煙がドドド!と出てきました。広場の子供たちも大喜び。

そっと裏に回ってみると、小さなドアが半開きになっていて、おじさんがこちらにお尻を突き出して中腰でドライアイスマシンをいじっています。

ドア閉めておけばいいのに…。


さて、科学館の中へ入ってみると、「今日は天文台の無料公開日です。」とのことです。

Dsc_1488
建物の屋上に天文台があります。

Dsc_1492
立派な望遠鏡があります。

今日はこの望遠鏡を使った太陽の観察会が開かれていました。

おお!フィルターをかけて覗いた太陽。黒点も見えるしプロミネンスが舞い上がるのも見えます。はじめてこの目で見た!わああ!

大興奮しながら周りを見回すと、参加者は子供とその親たちばかり。オジサンひとりは私だけです。

いいんです。どうせ中身は子供なんですから。


科学館の中の展示は当然こども向けです。でもなんだか少し古い。1990年初めあたりの匂いがします。

ビデオの教材も、「現在ISS(国際宇宙ステーション)を建設中です!」って言っています。

まあ、子供が体験できる設備が多い施設は維持管理も大変そうですし、なかなかお金は回らないのでしょう。

でも、ロケットだけでもインパクトは大ですよ。


Dsc_1507
帰り際に餃子を食べました。子供だけどビールは飲みます。


お互いに、近くて遠い北関東三県。しかし、いざ行ってみるとなかなか楽しい旅が待っていました。







より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

無料ブログはココログ
2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ウェブページ